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2020-05-25

<わたしの歴史>幼少期① 「私がお兄ちゃんにならなくちゃ」

片づける勇気で、人生に愛と希望を
片づけを通じて『人生の新しい道を見つける』お手伝いしています。

専門分野:
▶︎親子の片付けコミュニケーション
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▶︎個人起業家のオンライン情報整理

姫路市を中心に「勇気と希望を育む片づけ講師」として
片づけのサポートをしている
ありもとようこです。

わたしの歴史

先日、『ありもとようこ について』というページを立ち上げました。

その時に、自分が昔から抱えていた「~しなくちゃ」という気持ちを、いっそ全部書きたいなぁと思っていたこと、ようやくできそうです。

内容によっては長かったり、短かったり。
嬉しいことや楽しいこと、うまくいったことだけではないんです。
多分、暗い話が大分多い(^^;

ですので、不快に思う方は回れ右してくださいね。

読んでくださった方は、そんな過去も含めて「こんな経緯で片づけを仕事にしているんだ」と感じていただけたら、幸いです。

家族のこと

私が生まれたのは、九州の小さな海に近い、小さい田舎町でした。

一緒に住んでいた家族は6人(正確には5人)

1年以上、ずっと海外へ単身赴任をしていた父
公務員としてフルタイムで働いていた母
同居していた父方の祖母
そして2歳下の弟と4歳下の妹

妹が生まれつきの持病を持っていたため、小さい時から母親はフルタイムの仕事が終わったあとは妹の入院している病院へ向かい、夜遅くに帰宅する日々でした。

自分の家族の状況をハッキリと認識したのは、6歳の頃。

「あぁ、お父さんがいつもいないって、ちょっと変わってるんだ。」

「お母さんも、ずっと忙しそうで。病院との往復を毎日して大変そう。」

「お婆ちゃんは優しいけれど、やっぱりワガママは言えないな。」

「良い子」になって、心配をかけないようにしないと。

「寂しい」なんて言ったら、お母さんたちが心配するから。

『わたしが、しっかりしなくちゃ。
『わたしが、頑張らなくちゃ。』

そんな「子どもらしくない」気持ちを、持つようになりました。

「私が、お兄ちゃんに。」

そんな中で、6歳ごろだったか。

私の中に一つの「~しなくちゃ」が生まれたのを、今でも覚えてます。

『私と一緒にずっと遊んでいた弟は、周りが女の人ばかりだからかわいそう。』
という気持ち。

そのときに、考えたのが

『わたしが、お兄ちゃんの代わりにならなくちゃ。』

でした。

『弟のことを、りっぱに面倒見てあげないといけない。』

『うちのお父さんはなかなか帰ってこないから』

『お父さんが居ない間は、わたしが頑張らなくちゃ。』

母親を喜ばせたかったか。

祖母に心配をかけたくなかったからなのか。

小さいなりに、その当時の私が初めて抱えた

「~しなくちゃ」という義務感のような決意は、中学卒業くらいまで続いたし、

「お姉ちゃんだからしっかりしなくちゃ」という長女としての責任感の呪いにはつい最近まで苦しめられることになります。

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さて、今回の『わたしの歴史』は、ここで一度終わりますね。
まとめて読みたい方は『ありもとようこについて』のページへどうぞ。
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